田中エキスパート

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■AlphaGoの勝ち越しで囲碁はオワコン?

イ・セドル九段がAlpha碁に負け越してしまった事は人類サイドとしては大変残念な事だ。

駄菓子菓子、ネットで散見される「囲碁オワコン」「人類はAIに支配される」などの論調ははたして正しいのだろうか?



■Alpha碁の勝利によってもたらされたもの


これまで人類は人類同士の対戦によってのみ囲碁棋譜を進化させてきた。これは取りも直さず対戦相手が「人類」のみに限定されていた事を指す。

良くも悪くも人類は棋譜の発展に影響を及ぼしてきたわけだが、それは人類の固定観念に囚われた発展だったと言っても良い。


この発展の限界を打ち破ったのがこの度イ・セドル氏に勝ち越したAlpha碁だ。Alpha碁は人類が想像し得なかった、または悪手だと封印していた手についても再考し、囲碁の新たな境地を示しててくれた。

この事は囲碁界において紛れもなく新たな成果でありAlpha碁の切り開いた手筋に対して賞賛の意を表するべきである事は疑いもない事実である。



囲碁の魅力は失われたのか?


ここで重要なのは囲碁が人類の「対戦ツールとしての魅力」が失われたのか?だ。

これについてはいささかの魅力も失われていないと断言できる。

なぜならば、今現在も人間同士が対戦ツールとして切磋琢磨している存在として「格ゲー」がある。このゲームは「わざと弱くする調整」をしていないCPUに人間が勝つ事は極めて困難とされているゲームだ。にも関わらず格ゲーは(かつての隆盛の影こそ無いが)今も人々を惹きつけてやまない。

そもそもコンピュータは「限定された状況下において最善手を繰り出す」事には極めて優れた存在だ。だからこそハードの制約を無視して極限まで勝ち負けだけを追求した勝負では、人間はコンピュータには決して勝てない事は最初からわかっていたはずだ。(今回のAlpha碁の勝利は遂にその「ハードの制約」が採算という壁を越えただけである)

それをあえてミスをする、間違える、迷う…そんな人間同士が闘う事で生まれるドラマにこそ人は魅力を感じてきたのだと思う。


対戦ツールに求められる要素は二人の人間が雌雄を決するにあたって、どれだけ互いの実力を反映出来るかと言う引き出しの多さにつきる。

この引き出しを開けきってしまうとマルバツゲームの様に完全手(試行錯誤の余地なく勝負が決まる手筋)が発見された事にななるが、囲碁にはまだ空いていない引き出しが無数に存在している。その現状が変わっていない以上、AIへの敗戦は囲碁の対戦ツールとしての魅力をいささかも損なうものではない。



■今後の囲碁界について


もしAlpha碁の登場で囲碁の魅力が失われるとすれば、それはAlpha碁によって囲碁の完全手が解き明かされた時だと思う。そうなればさすがに囲碁界の終焉を考えなければならないだろう。

しかし、それが解き明かさるまでは囲碁の対戦ツールとしての魅力はいささかも損なわれるわけではないし、また今後も人類は囲碁を打ち続けるだろう。


願わくば人類サイドに肩入れするイチ人類としては、Alpha碁が導き出した完全手をさらに上回る神託の妙手を打ち続ける力を人類が持っている事を祈るだけである。


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